松岡正剛の旅考長濱 11|江北図書館
古き本が生き続け、人がつながる「いろはにほん」
冨田酒造からゆっくりと歩いて、最後の訪問地、江北(こほく)図書館を訪れる。全国で3番目に古く、滋賀県では現存する最古の図書館。1902年、旧余呉村出身の弁護士、杉野文彌が「郷里に学びの場を」と私財を投じて杉野文庫を開設。その後、伊香郡役所の全面的な支援を得て、寄付金と個人・法人等からの寄贈図書を加えた合計約8千冊をもって、1907年、財団法人(現在は公益財団法人)の図書館として開館した。高い理想を掲げて地域の知的啓発に貢献していたが、昭和の大恐慌以降、運営資金が枯渇。その後、幾多の存続危機を乗り越えてきた。資金難が続く中、建物の老朽化もすすみ運営は厳しい状態だが、100年以上にわたり地域文化の創生に寄与したことが評価され、2013年には「サントリー地域文化賞」を、そして120年を迎えた今年、「第4回 野間出版文化賞特別賞」を受賞した。
図書館とは、眠りに入っていたいっさいの知の魂を呼び醒ますための時空間起動装置のことである。それらはいったんは眠りこんでいた書籍をその胸に深く抱きこむだけに、どんな空間より死のごとく静謐であり、そのくせ、その1冊にちょっとでも目をいたせばたちまちに知のポリフォニーが次々に立ち上がってくるのだから、どんな空間よりも群衆のごとく饒舌なのである。
さて、図書館といえば蔵書、蔵書といえば書棚、書棚のどこに何の本があるかといえば、蔵書検索目録である。これらは離れがたく一連につながっていて、著者や書名のリストの並びが書棚となり、その立体空間となり、それが図書館そのものとなる。そこに問題も生じ、夢も生じる。そのことについて、いささか大事な話をしておきたい。
2021年、図書館の存続を望む地元の有志たちが新たに理事会に加入し、メンバーが若返った。今回の仕立人の堀江昌史(まさみ)さんもその一人だ。堀江さんは東京生まれの埼玉育ち。東京の大手新聞社に勤めていたが、2019年春、長浜市大音集落にある賤ケ岳の麓に移住。「能美舎」という出版社を立ち上げて本づくりをしながら、「丘峰喫茶店」を営んでいる。「年間約200万円の基本財産運用益でなんとか運営しています。他にはない図書館ですし、創設者・杉野文彌の想いを自分達も繋いでいきたいと思っている。雨漏りを直すのも大変なほどの資金難ですが、存続させるために、これからみんなで知恵を絞って考えたいと思っています。」と底抜けに明るい笑顔で松岡さんに話す。12月16日発行、出来立てホヤホヤの冊子『江北圖書舘』は、「奇跡が生んだ宝箱」を後世に残すため「これからの100年に向けて私たちのチャレンジははじまったばかり」と結んでいる。発行人はもちろん堀江さんの「能美舎」だ。このたび受賞した野間出版文化賞特別賞では「他に類を見ない私立図書館」として高く評価されている。松岡さんも推薦人のひとりだ。この地にあったからこそ在り続けてきた唯一無二の「宝箱」をこれからどう磨いていくか。支え続けてきた先達たちのバトンを受け取り、尊い挑戦が続く。
本には何でも入る。オリエント文化もバッハの楽譜も信長の生涯も入るし、ピーターパンの冒険もハイデガーの哲学もシダ植物の生態も入る。物語も日記も政策も犯罪も、必ずや本によって形をなし、本として世の中にデリバリーされてきた。本は何でも運べる舟であり、たいていのコンテンツを盛りつけられる器で、かつまた知識を情報の相場でもあって、誰もが好きに着たり脱いだりできる着脱自在な方形の衣裳なのである。
千夜千冊エディション『本から本へ』松岡正剛著(角川ソフィア文庫)
旅日時 |2022年4月16日(土)
旅考人 |松岡正剛
近江ARS |福家俊彦、福家俊孝、川戸良幸、村木康弘、三浦史朗
横谷賢一郎、加藤賢治
仕込み衆 |竹村光雄、冨田泰伸、對馬佳菜子、橋本英宗、川瀬智久
仕立て衆 |中山雅文、和泉佳奈子、中村裕一郎、中村碧
文章 |渡辺文子
写真 |新井智子
写真説明 |渡辺文子
収録 |伊賀倉健二、亀村佳宏、小川櫻時
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