松岡正剛の旅考長濱 7|丸三ハシモト

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木之本からシルクロードへ戻る旅、絹弦が生む「さわり」とともに。
 
 佃平七糸取り工房から伊香具神社、繋がる糸を辿るようにいよいよ丸三ハシモトへ。
 明治41年創業。良質な生糸の産地である長浜市木之本町で、高品質な和楽器の弦を作り続けている。機械を使わず独楽の回転だけで糸を撚る「独楽撚り」を頑なに守る伝統のスタイルは世界で唯一。初代は大阪で太夫三味線の糸作りを学び帰郷した橋本参之祐氏。二代目橋本太雄氏に続き、三代目橋本圭祐氏(現会長)も国無形文化財選定保存技術保持者に認定されている。案内は丸三ハシモト四代目社長、近江ARSメンバー・橋本英宗さんによる。
橋本英宗さんの話をじっくり聞きながら、浦上玉堂の七弦琴、蝉丸の琵琶、山元春挙などの話をする松岡正剛さん。
橋本「現在、和楽器糸を作っている同業者は全国で7軒、絹弦を作っているところはわずか3社と家内工業1軒だけです。昔は、その地域の音色は地元の弦メーカーが要望に応じて制作をしていました。しかし、廃業してしまうと、別の地域のメーカーがその地域の音、流派の音を理解することから始めなくてはなりませんが、その音を伝えることは難しいです。
三代目の父が『邦楽器糸製作(選定保存技術の記録)』を作りました。いま、このような参考文献を集めることが大変になっています。私の代で、この本の現代版を作ろうとしています。制作の口伝にあたる部分、音色を作るための工程、工夫、その理由などを凝縮した本にしたいのです。録音技術がどんなに発達しても和楽器の音は録音では伝わりません。海外では、日本の音はノイズが入っていると嫌がられるが、それこそが日本の音楽の良さであり、味わいであり、そこに四季や感情や奥行があると思います。」
 
松岡「邦楽器の制作過程は文字で残っているものは少ない。三味線、太鼓、尺八などの音は録音ではどうしてもうまく伝わってこない。「さわり」が録れないから肝心な音が伝わらない。」
 
 あるとき文楽の公演で義太夫の太棹三味線を聴き、また別の機会に筑前琵琶を聴いて、震えるような感動をおぼえた。西洋音楽にはない「ざわついたもの」が動いている。一の糸だけが微妙に棹に触れて、独特のノイズを共鳴させている。それを「さわり」ということも知った。いつかあの音を自分の音楽にとりこみたい。
15mほどの絹糸を張って「独楽撚り」をする撚糸場。世界で唯一、伝統の手法に、皆、興味津々。
橋本さん自ら「独楽撚り」を実演。スタッフのベテランぶりに「私より上手いんです」と苦笑いをする。
糸の先に独楽を付け、ぶら下げる。この後独楽の柄の部分を「板」と呼ばれる道具でこすり、撚りをかけていく。
橋本「私たちは独楽撚りの手法にこだわっています。独楽撚りの糸は音の跳びが良い。機械は撚りが入りすぎて音が詰まります。その時、糸の表面にできる凹凸がとても重要で、凹凸が空気中に触れて、音の跳び方、方向がちがってきます。また、化学繊維や金属弦の楽器の合奏は、それぞれの楽器の音が独立してハッキリときこえてくる。しかし、絹糸のお琴の音色は、他の楽器と交わって一体感があります。私には、音が上から降り注いでくるように感じるんです。三味線やお琴はぜひ生音できいてほしい。」
楽器糸用の生糸は太細があるため生糸の数ではなく重さで種類を決める。「目方合わせ」に集中する職人の目に迷いはない。
橋本「伝統芸能の世界ではうんちくを先にだしません。腕一本で見せて、あとは解釈しなさいというスタイルです。お琴も三味線も分業でしたし、技術の継承は口伝が多く文字で残ることは少ない。」
 
松岡「イタリアの職人はダンテを語るが、日本の職人は「俺の背中を見ろ」と言うばかり。源氏物語も徒然草も枕草子も語らない。中田ヒデが「日本の物は素晴らしいのに、職人が語らないのがとても残念。その間を埋めたい。」と言っていた。三味線のこれまでが語られないのがもったいない。本條秀太郎さんのような人がもっと出てくるべきだし、橋本家の代々がどのようなことをやってこられたのか、もっと逸話が語られたほうがいい。いよいよ言挙げするときだ。」
 
橋本「弦を通じてアジアの伝統楽器の違いが見えてきます。接着剤ひとつとっても、中国は膠、韓国は松脂など、それぞれお国柄がある。日本は元々は中国から膠が伝わってきましたが、日本では手に入りにくいこともあり、次第に身近にある接着剤として「餅」を使うようになりました。日本人が聞きなれた音に変化して根付いてきたのだと思います。音質の点からルートを考えても朝鮮からのルートは考えにくく、中国からダイレクトに入ってきたのではないかと思っています。」
「接着に使う糊だね。」と松岡さんが手にする。丸三ハシモトでは冬に自社で餅つきを行い、かき餅として保存している。
松岡「なるほど。民族音楽学者の小泉文夫さんは、アジアの伝統楽器の音の違いは「声」と関係があるのではないかと言っていた。例えば京劇と歌舞伎の声が違うように、中国、韓国、日本の声が違うことはわかる。迦陵頻伽の声や、声明、朗誦、読経などの違い、そして倍音がどのようにして出ているのか、そういうことが楽器と関係があるのではないかと研究をされていたが、道半ばで亡くなられてしまった。小泉文夫を継ぐ人が必要だ。」
 
 本書は「世界のなかの日本音楽」というサブタイトルがついている。最初に「普遍性の発見」とあって、日本音楽は特殊でもないし未発達でもないことが強調される。
 このテーマは小泉さんの独壇場のもので、とくに4種のテトラコルドをもってさまざまな日本音楽の特質を”発見”したことが有名だった。
 
橋本「日本の弦のことだけでなく、アジア全体のルーツも掘り下げたい。それぞれの国が誇りをもって楽器に携わっています。日本はこれまで技術を残してきました。その技術をいまは輸出という形で中国や韓国に還元しています。いま私はシルクロードを戻る仕掛け作りをしていると自負しています。絹弦の文化を残し世界につなげていきたいと思っています。」
 
松岡「いいですね。だとしたら黒海を調べてみるといい。ぼくは、すべての周辺に黒海があると思っている。ロシアのウクライナ侵攻で大変なことになっているが、黒海を手放したらロシア政権は崩れるほどすべてのルーツはそこにあるといってもよい重要な場所。弦楽器も観音も源流は黒海にあると思っている。黒海からシルクロードを通ってローマにいくかスラブに行くか。そこで分かれていく。たとえば、東のシルクロードを通って蝉丸神社まで届いたのはなにか。そんなことも調べてみるといい。」
 
 最高級の糸の源泉を見学したあとの丸三ハシモト。平安時代からの土地の歴史を重んじながらも未来に向かう実直かつ挑戦の会社だ。幾人の手が独楽を回し続けてきたことか。丸三ハシモトの数々の工程に携わる人の表情には一分の迷いもなく、目の前の糸に一心に集中する。独鈷水から続く「湖の糸」、佃平七糸取り工房の佃三恵子さんのひたすらを一身に背負って丸三ハシモトは歩き続けている。伝統が残ったのではなく、伝統を残してきた。松岡さんが最後に話す。「これからは和楽器以外の楽器製作者と交流をもったほうがよい。そして外国人に来てもらい木之本の糸が出す音を聴いてもらうと良い。」
 弦糸の道を通る四代目・橋本さんが見据えるその先は世界だ。
糸張り場。和楽器糸をウコンで染色した後、餅の糊で炊く。その後、糸を柱から柱へと張り渡す。
松岡正剛さんと橋本英宗さん。「ピタゴラスの世界のようだね。」「松岡さんに通り抜けてもらいたかったんです。」
 
 
旅日時  |2022年4月15日(金)
 
旅考人  |松岡正剛
近江ARS |福家俊彦、福家俊孝、川戸良幸、村木康弘、三浦史朗
      横谷賢一郎、加藤賢治
 
仕込み衆 |竹村光雄、冨田泰伸、對馬佳菜子、橋本英宗、川瀬智久
仕立て衆 |中山雅文、和泉佳奈子、中村裕一郎、中村碧
 
文章   |渡辺文子
写真   |新井智子
写真説明 |橋本英宗
 
収録   |伊賀倉健二、亀村佳宏、小川櫻時
 
 
 

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