松岡正剛の旅考長濱 6|伊香具神社
小江の里、糸に流れる清き水。「こころを君にたぐへてぞやる。」
佃平七糸取り工房を後にして、降り始めた小雨に追われるように伊香具神社に入る。伊香具神社は1400年近く前に創建されたとされる。祭神は伊香津臣命。天児屋根命の6代孫にあたり中臣氏である藤原氏と同祖。延喜式においては大社大名神という高い社格を与えられ、延喜式内社として由緒ある神社とされている。境内の東に「独鈷水(どっこすい)」と呼ばれる湧き水がある。弘法大師空海がこの地に害をなす毒蛇を独鈷で伏せ込めたという伝説の場所で、平安時代に伊香具神社の神官であった伊香厚行が、ここから湧き出る清水を用いて繭を煮て糸を引かせたところ上質の糸ができたので都に持参した。それが評判を呼び全国にも広まり、この土地の主要産業となったといわれている。また日本最古の「白鳥伝説(羽衣伝説)」のつたわる場所としても知られている。
伊香具神社の伊香忠雄宮司にご案内いただいた。
宮司「この村は奈良の都を模して作られたと言われています。後ろに山があり、前がひらけて、川が流れている。この神社を春日大社と見立てているそうです。このあたりは伊香小江(いかごのおえ)と呼ばれ、もっと水位が高い湖沼地でした。ここに八羽の白鳥が飛来してきて天女になって去っていくが、羽衣を隠され帰れなくなった天女がこの地の伊香刀美と結ばれ4人の子をうみ、伊香郡の祖先となったという伝説が残っています。「白鳥伝説」でありながら「天女伝説」という意味でも珍しいですし、日本各地に伝わる「羽衣伝説」の中でも最古だと言われています。」
ご用意いただいた資料のひとつひとつを松岡さんはじっくりと眺める。「伊香藤原系図」の巻物が広げられており、藤原氏と同祖だったことがわかる。
手に取った「大音今昔譚」に「おとう いまはむかしのものがたり」と仮名がふられている。
松岡「大音は、“おとう”と呼ばれていたのですか?」
宮司「大音は「おとう」とも呼ばれています。また、伊香具神社の境外社に「意太(おふと)神社」があり、「おふと」が今の部落名の「おおと」となったものとも考えられ、大音明神の起源ともされています。」
「いか、いかつ、いかご、うーん、何かありそうだなあ・・。」松岡さんは地名の本来に思いを残す。
部も史部(ふみべ)も、またそれらの伝承者も、どこでどんな相手に話をするかで、いろいろ工夫というのか、ヴァージョンを変えるというのか、ともかく「柔らかい多様性」とでもいうような話法や叙事性をつくってきてしまったんだね。それに、初期の日本には文字がなかったから、語り部の記憶も完璧というわけにはいかない。加えて蘇我氏のところで、『古事記』『日本書紀』より古い史書がみんな焼かれてしまった。そういうわけで、古い時代の各地の信仰や一族の動向を推理しようとすると、なかなか難しい。それでもふしぎなもので、そういう動向のいつくもの本質が、地名や神名や神社名に残響していたりするわけだ。ともかくも、そのような残響をひとつひとつ掘り起こして組み合わせていくと、そこに大きな大きな或る流れが立ち上がってくるわけだ。それは、海からやってきた者たちの歴史、陸地を支配した者たちの歴史、排斥されていった者たちの歴史、忘れられていった者たちの歴史‥‥というふうな、幾つかの流れになってくる。
宮司「鳥居は全国的にも珍しく脚が12本あります。伊香式鳥居といい、三輪式鳥居と厳島式鳥居を組み合わせています。水辺の不安定な場所なので鳥居を安定させる必要があったのだと思います。拝殿は江戸中期にたてられましたが、平成30年の台風21号によって大木が倒れて拝殿が倒壊してしまいました。いま皆さんのお力をいただいて再建中です。」
松岡さんは銅鏡4つに目をとめ、「これは高木三神ですね。」と宮司さんにたずねる。
宮司「はい、「高皇産霊神」「天之御中主神」「神産巣日神」の三神と「天照大御神」です。この4つの鏡を祀って神道を広めようとしたそうですが、本殿より低いところに置くのは不敬だと言われて出来なかったようです。」
松岡「この4つを祀ろうとされるとは、かなり大それたことだが、ここが春日大社に模して造られたことから考えても、この神社が相当な誇りをもっていたんだろう。」
案内人の對馬佳菜子さんは「氏子さんたちも伊香具神社が名神大社に値する社格の高い神社であることにとても誇りをもっておられます。」と話す。「だからこそ土地神様は自分達が守らなくてはという気持ちが強いのです。」と。
座敷一杯に広げられた「嘉永元年の大音郷絵図」を松岡さんとともに皆でしばし見つめる。人々が大切に守ってきた誇り高き大音郷の歴史が偲ばれる。
かつては小さな湖だったこの集落の前に白鳥が舞い降りた。そして空海の手による「独鈷水」から湧き出る賤ケ岳の伏流水。最高級の糸に繋がる納得の「水」伝説は、先に訪ねた佃糸取り工房の今に繋がっている。
『古事記』の冒頭に、こんなことが書かれています。「天地始めて発けし時、高天原に成れませる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神。この三柱の神はみな独神と成りまして、身を隠し給ひき」。日本の天地開闢のときに、この三神が最初に現れて隠れたというのです。アメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビの三神がぬっと現れたというのです。これを「造化三神」あるいは「高木三神」と言います。いわゆる八百万の神々が出現するのに先立って出現した三神です。(中略)この日本の天地開闢のいきさつを集約すれば、この話は日本という国が成立した事情を、すべて「結び」と「立つ」で説明しているということがわかります。
『日本文化の核心』松岡正剛 -第1講 柱を立てる―より抜粋
旅日時 |2022年4月15日(金)
旅考人 |松岡正剛
近江ARS |福家俊彦、福家俊孝、川戸良幸、村木康弘、三浦史朗
横谷賢一郎、加藤賢治
仕込み衆 |竹村光雄、冨田泰伸、對馬佳菜子、橋本英宗、川瀬智久
仕立て衆 |中山雅文、和泉佳奈子、中村裕一郎、中村碧
文章 |渡辺文子
写真 |新井智子
写真説明 |對馬佳菜子
収録 |伊賀倉健二、亀村佳宏、小川櫻時
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