松岡正剛の旅考長濱 5|佃平七糸取り工房

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水が向く弦糸が奏でる湖の琴。ひたすらな手元が目を奪う。
 
 丘峰喫茶店から坂道をゆっくりと歩いて下り、集落の小道にはいる。平安時代から変わらぬ手法で繭から糸を紡ぎ出す「佃平七糸取り工房」は、余呉湖と琵琶湖を見下ろす賤ケ岳山麓の長浜市木之本町大音にある。水上勉の小説『湖の琴』では、「湖北風土記」を引きながら大正末期の糸取りの様子を折りこんでいる。明治末期、大阪で邦楽器絃の加工技術を学んできた橋本参之祐が、この糸を使い地元産業として発展させたとされている。かつては盛んだった生糸づくりも次第に減少し、この伝統を繋ぐ工房は1軒を残すのみとなったが、4代目佃三恵子さんの奮闘によって支えられている。この工房で出来た糸は、「丸三ハシモト」で邦楽器用の絃に加工される。工房の案内は、その四代目当主、近江ARSメンバー・橋本英宗さん(丸三ハシモト株式会社・代表)による。
親戚の横関さんとサプライズの再会。三四半世紀前の「セイゴオちゃん」にタイムスリップした松岡さんから、長浜時代の懐かしい話があふれてくる。
 冬になると、湖北から若狭や越前に向かう旅路は寂しい。それなのに、ぼくにはその湖北が父の原郷(長浜)であって、そこに本家の中辻がいた。松岡は中辻家の分家にあたる。
 けれども中辻家はそのころ絶えつつあって、ただ一人、湖北木之本の大音にだけ若い跡取りがいた。中辻源一郎君といった。ぼくが子供時代に最初に遠出をして忘れられない幼童の日々に親しんだのは、その年上の源ちゃんのいる木之本と余呉の湖だった。
 読みさしの本から顔を上げ、母が振り向いた。「これな、源ちゃんの余呉の話やの」。水上勉の『湖の琴』だった。
繭から引いたばかりの糸に触れる。「これが糸とは思えない。不思議な感覚だなあ。ほら、皆も触ってみて」
「松岡先生は頭のベテラン。私は手先のベテラン。」手を動かしながらも佃さんの楽しい会話に終始笑顔の松岡さん。
佃さんは伝統技術の伝承活動が認められて文化庁長官賞を受賞されている。
繭と中から取り出した蚕のサナギ。「この最高級の糸はお蚕様のおかげです。」佃さんの言葉に納得。
 日本最高級の糸が生まれる工程を、松岡さんは身を乗り出して長い間見続ける。「水道水はカルキ等余分な成分があるため糸がパサつきます。そのため佃さんは山の水を汲んできています。また、この座繰方式だと糸に弾力性が残りますが、機械ではこうはいかない。糸が伸び切って音が硬くなる。佃さんのこだわりが楽器の音色に大きく影響してきます。」橋本さんの説明により、伝統を残す作業の大変さが伝わってくる。座繰器に向かい、スピードを緩めることなく続く佃さんたちの自信溢れる作業から誰も目が離せない。繭は80度強の熱湯の中をクルクル回り、佃さんは手水を使いながら的確な指捌きにより糸を手繰り寄せ紡ぐ。そして艶々と輝く糸が小枠に巻き取られていく。「いい繭だと箒をつかわなくてもよいが、糸がもつれて絡まってくるとワラ箒で手繰って糸口を探す。」そう言いながら、佃さんの貫禄の指先は迷うことなく糸口を探し当てる。「養蚕農家も少なくなり、岐阜から繭を取り寄せるようになっている」と橋本さんは憂う。この工房の存続は、日本の邦楽芸能の存続を意味する。糸口はどこだ。いまの日本に必要なものが、この小さな工房にある。
 ぼくの現代音楽のナマ体験は1966年の「オーケストラル・スペース」に始まっている。武満徹と一柳慧が企画したもので、3日間にわたって日生劇場で催された。ペンデレツキやクセナキスを初めて知った。このとき武満の《エクリプス(蝕)》が初演された。琵琶と尺八の2重奏曲だった。琵琶が鶴田錦史で、尺八が横山勝也である。そうとうに新しい音楽の誕生だということがすぐにわかった。琵琶と尺八は従来の伝統楽器とはまったく異なるアクティビティを見せていた。
 
 
旅日時  |2022年4月15日(金)
 
旅考人  |松岡正剛
近江ARS |福家俊彦、福家俊孝、川戸良幸、村木康弘、三浦史朗
      横谷賢一郎、加藤賢治
 
仕込み衆 |竹村光雄、冨田泰伸、對馬佳菜子、橋本英宗、川瀬智久
仕立て衆 |中山雅文、和泉佳奈子、中村裕一郎、中村碧
 
文章   |渡辺文子
写真   |新井智子
写真説明 |渡辺文子
 
収録   |伊賀倉健二、亀村佳宏、小川櫻時
 
 

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