松岡正剛の旅考長濱 10|冨田酒造

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杉の神に守られて 琥刻が眠る木と土の蔵
 
 北国街道木之本宿にある造り酒屋。天文3年(1534年)創業。主に「七本鎗」の銘柄を製造。酒銘は賤ケ岳の合戦において秀吉の配下で勇名を馳せた七人の武将「七本槍」に由来し、勝利の酒として名高い。奥伊吹山系の伏流水と地元の酒米にこだわり、地域に根ざした酒造りを理念としている。大正初期、12代当主と交流があった北大路魯山人が長く逗留し、魯山人自らが彫った扁額「七本鎗」が残されている。酒のラベルはその篆刻を元にデザインされている。
 近江ARSメンバー・冨田酒造15代目蔵元、冨田泰伸さんによる案内。
目の前は北国街道。木之本地蔵院の門前町でもあり、かつて多くの人が行き交う大きな宿場町だった。町ごと燃える大火が続いたが、主屋は1744年に建て直し、いまは国登録有形文化財に指定されている。
「この界隈5軒で神明講を組んでいます。いまは講は休んでいるのですが。」と“白状”する冨田さんに、即座に「復活したほうがいいよ」と笑う松岡さん。
300年近い歴史ある蔵内に堂々と並ぶ「七本鎗」。
いまでは珍しくなった煉瓦の煙突。かつては米を蒸すときに使っていた。役目を終えたいま、補強しながらも酒屋のシンボルとして残している。
冨田「お酒の生命線は水といっても過言ではありません。仕込みから洗い水まですべて、18メートルの深さの井戸水を使っています。水がとても豊富で、そのまま飲料水としても使えます。昭和20~30年頃から酒造業界全体が木桶から琺瑯(ほうろう)タンクに変わってきました。うちもその時期に琺瑯に変えたのですが、あえていま、木桶仕込みを復活させています。明治時代は、腐造が多発して貴重なお米を無駄にしていたので、国税庁主導で日本醸造協会が立ち上がり、大正時代から腐造の恐れが少ない速醸が主流になりました。しかし、それでは酒の深みがでにくい。酒づくりがレシピ化して、金太郎飴のようにどこでも美味しいけど面白くない。木桶は、漏れる、洗浄性が悪い、カビがはえる、伸縮する、夏は管理が大変と、手がかかることばかりですが、それでも、この多孔質なものを使うことによってそこに住みついた菌がプラスアルファの個性を出すことに期待します。蔵の天然の乳酸菌をつかう生酛づくりを復活させています。鮒寿司ともつながります。」
 
松岡「なるほど、多孔質は昨日見学した丸三ハシモトの絹弦とまったく同じだよね。ミクロの世界だ。」
         江戸期の蔵に並ぶ新しい木桶。蔵の本来の景色に馴染み、これから長い時を重ねていく。
冨田「この大きな木桶は、大阪・堺にただ一人残った木桶職人に作ってもらいました。釘も接着剤も使わず箍(たが)で締めるだけの技術は凄い。桶も、混ぜる棒も、細かい道具もすべて杉です。地元の杉材でも出来るといいのですが、良い杉は奈良の吉野が突出しています。夏になると桶が痩せてタガがはずれます。毎年メンテナンスが必要です。年の使い初めはお湯を入れると漏れてくる。だけど数時間でピタリととまる。すごい計算がされています。桶は、酒屋が約30年、醤油屋では100年以上使うそうです。昔から、酒屋での役目が終わった桶は、醤油屋や味噌屋が使うという循環がありました。酒屋が使わなくなると醬油屋や味噌屋に流れなくなる。鮒寿司も木桶を使います。最近、木桶職人を目指す人も出てきているようで嬉しいです。」
 
 微生物は発酵もおこすが、腐敗もおこす。発酵と腐敗という二つの現象は紙一重なのだ。実際にもフランスのリヴァロなどのチーズや近江の鮒鮨(ふなずし)などは、腐っているような匂いがする。ところが、食べてみるとおいしい。「発酵と腐敗を区別するのは、科学ではなく文化である」という言葉は、発酵科学の第一人者である小泉武夫の至言だった。
 
冨田「蒸しあがった米は麹をつくるものと、ただ蒸しただけのもの、二種類作られます。蒸した米と麹を水の中に入れると、麹の酵素が蒸した米のデンプンを糖に変えます。その糖を酵母が食べて、酵母から出るものが二酸化炭素とアルコールになります。ワインは果汁を搾ったら糖そのものですし、麦ビールは麦芽がもともと持っている酵素が糖を作りますが、米には糖がそれほどないので麹を加える必要があります。人がかなり介在して、ひと行程必要なのが日本酒の特徴です。」
昔ながらの木の槽(ふね)。現在はステンレスが主流になりつつある。
冨田「ここでお酒を搾ります。お酒を搾ることを「舟に乗る」といいます。」
松岡「古代から酒船とか酒船石とかも言われていたね。」
冨田「昔はここに天秤棒をかけて石で搾っていました。いまはピストンの油圧で搾っています。昔の製法のほうがコストは断然かかってくる。先日、8メートルもある天秤棒が見つかりました。昔、使っていたものです。タンクの裏にあって誰も気づいていなかった。いずれは8メートルのカウンターなどにして大切に残したいと思っています。」
                朝夕の検温、分析などモロミの世話は毎日欠かせない。
冨田「昔ながらの無農薬で生酛の製法でつくっているお酒です。」
松岡「この作業をずっとやることが何かになるんだよね。不思議だね。」
平成28年に新築した蔵。地元産材をつかい、小舞(こまい)を組んで土壁をつくるなど可能な限り在来工法とした。
冨田「日本酒のビンテージものを作りたくて地下をつくりました。フランスのワイナリーでは地下の洞窟のようなところにビンテージものが沢山眠っています。日本酒にもビンテージ概念を持ち込みたい。2010年から売り切らず、地下に残しています。20年、30年残して、狙って作る味ではなく、時間で味を作ってみたい。琥珀色になるように時を刻む、そしてここは「湖国」でもあるので、「琥刻(ここく)」と名付けました。水も菌も米もすべてその年のものを使っています。滋賀らしいお酒で時間を刻んでいけたらいいなと。僕がやっている仕事は消費されるのが当たり前ですが、自分が死んだあとでも残っていくというのがいい。ワインに年代物があるように日本酒でもつくってみたい、楽しみの幅をもちたいと思っています。」
ゆっくりと刻を重ねる琥刻。熟成でしか表現できない味で、時を感じながら飲む。その楽しみを日本酒に加えたい。
(写真提供:冨田酒造)
松岡「いいですね。僕は以前、金沢で日本酒の酒造家が集まったシンポジウムに呼ばれました。日本人が乾杯する時、「まずビール」というが、あれをやめさせたい、最初から日本酒を飲ませたい、どうすればよいか何か話してほしいと依頼された。古来日本人は大陸からコードを輸入して独自のモードを作ってきた。漢字から仮名を作ったことと、酒精から日本酒文化を創り出したことは同じこと。西洋からの乾杯も日本のモードとして取り組んでいく必要がある。新しいモードの創造が求められる、というようなことを話しました。みんな、昔ながらのものに光をあてなきゃいけない。ワイン道があるように、酒道をつくりたいと言ってましたね。」
 
 当時のトインビー夫人が日本のホテルでアメリカン・ブレックファーストを出しているのに呆れ、「私たちはこんなものを食べたくて日本に来たのではない。どうして日本のホテルはアメリカの真似をするのか」と怒ったことなどにもふれている。
 この手のエピソードは、もっと書いておいてほしかった。ぼくも日本のホテルで単品で頼むと1500円も2000円もするジュース、トースト、エッグ、コーヒーが朝食になっていることを、50年前からずっと納得できなかった。実はいまだにベッドメーキングで足元があんなに窮屈になっている理由もわかっていない。
 
 かつて、消えそうになった冨田酒造の灯を絶やしてはならないと立ち上がったのは嫁いできた母であり、それを継いだのは次男である冨田さんだ。本来であれば支える立場だったはずのふたりが冨田酒造を蘇らせた。冨田さんは「新しいものだけに行きたくない。それはハッキリしている。」と言い切る。明治初期の建物を現在の建築法では再生できず、泣く泣く潰してしまった。先代から残してもらった建物を自分の代でつぶすことに抵抗があり、せめて地元の木材で極力在来の建物に近い形でと木造土壁にこだわった。冨田さんは酒造りとともに、そこにある空間がいかに大切かを考えている。「解体して残った古材は海上コンテナを3台かりて保管しています。いつか何かに使いたい。木桶仕込み、木船の搾り、土壁、煉瓦煙突、すべての景色とともに残したい。」と語る。地元の米と水に徹底的にこだわり、先代からの長い歴史を尊ぶ。「そういう当主が居ないとどんどん近代化になるばかりだ。行ったり来たりでもいい。あなたなら大丈夫。」松岡さんはそう言って冨田さんの肩を叩いた。
「この日の記念に」と言う冨田さんからのリクエストに応じて。
湖北の途分かれて 冨田の八郎におよぶ
     此に芳醇のとき 将来を望んで眠る
          玄月松岡正剛 近江アルスの皆々と
 
 
旅日時  |2022年4月16日(土)
 
旅考人  |松岡正剛
近江ARS |福家俊彦、福家俊孝、川戸良幸、村木康弘、三浦史朗
      横谷賢一郎、加藤賢治
 
仕込み衆 |竹村光雄、冨田泰伸、對馬佳菜子、橋本英宗、川瀬智久
仕立て衆 |中山雅文、和泉佳奈子、中村裕一郎、中村碧
 
文章   |渡辺文子
写真   |新井智子
写真説明 |冨田泰伸
 
収録   |伊賀倉健二、亀村佳宏、小川櫻時
 
 

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