松岡正剛の旅考長濱 8|長浜曳山祭 子ども歌舞伎
男の花道一世一代、渾身の台詞が鳴り響く。「必ず帰って参ります~」
雨予想から晴れ間に変わったキリリとした寒い朝。昨日までは静かだった町の通りに、祭りのざわめいた空気が流れる。日本三大山車祭のひとつ長浜曳山祭りは国重要無形民俗文化財に指定されている。当時の長浜城主・豊臣秀吉が男子誕生祝いとして町民に配った砂金を元手に、曳山をつくり曳きまわしたのが祭りの始まりと伝わっている。その一番の見どころ「子ども歌舞伎(狂言)」は台本などの記録から1700年代には行われていたという。長浜の町衆が祭禮に出る曳山と当時流行っていた歌舞伎をつなぎ、街中を巡行させる移動芝居の場に仕立ててつくりあげた。5歳から12歳くらいまでの男子によって演じられ、12の曳山から毎年4基が3年ごとに交代して新しい演目を披露する。
この場の仕立ては、「常磐山」の法被を羽織り町若衆の姿で現れた、近江ARSメンバー・長浜まちづくり会社の竹村光雄さんによる。
天保元年から続く陶器商「かわ重」五代目・川村和彦さんに「子ども歌舞伎」をご案内いただいた。川村さんは、二代目・中村小山三さんに手ほどきをうけた明治大学・歌舞伎研究会出身。松岡さんとの歌舞伎談義に花が咲く。
「ちょうど先ほど後宴狂言が始まったところですので参りましょう。子ども歌舞伎は13日にくじ取りが行われ、祭禮順が決まります。」
川村さんの案内で「十軒町」をゆっくりと歩く。かつては辻から辻の間に乾物屋など10軒の店が並ぶ賑やかな通りだったそうだ。通りを抜ける冷たい風が子どもの語りを運んでくる。
商店街アーケード内では、「高砂山」による演目「男の花道」が始まったようだ。
川村「今日4月16日は「後宴狂言」にあたります。八幡宮にこんな風にお供えをしてきました、町内の皆さんゆっくり見てください、という日です。ひと昔前までは、商店の前に柵を作り、桟敷で見られるようになっていました。長浜はお仏壇のまちです。子ども歌舞伎を演じる山車はその象徴的なものですので、狂言時間は線香ではかります。線香1本分の約40分です。」
竹村「昨日、安藤家でご一緒した時、松岡さんは、魯山人は世界を小さい小蘭亭の中に詰め込んだ、と言われてました。この曳山の狂言も、本来は大きな舞台でやる歌舞伎をこの小さな山の上に持ってきています。これは相当アレンジをしているわけですよね。」
松岡「そうですね。日本人が得意な「縮みの文化」です。もともとは傀儡のような小さなものから作られてますね。何年か前に、僕の会社の書斎のような場所ですら吉田玉男さんが人形浄瑠璃をやってくれた。それも同じで、日本人はスモールサイズに詰めることができる。俳句や短歌の世界もそうですね。もうひとつは振り踊り、総おどり、盆踊りのようにエクスパンドしていく。それをもう一回、お重や幕の内のように箱につめている。屋台の文化、歴史もとても不思議です。西洋のカーニバルのように練り歩くのは同じだが、日本の山車はいったん御旅所に入って出てくる、神迎えをして神送りをしている。そういう意味でもこの小さなサイズはとても大事なサイズ。子ども歌舞伎も地歌舞伎だが、これはまた特別ですね。近くにもありますか。」
川村「長浜から派生した地歌舞伎は、近隣では米原市、岐阜の垂井町にも伝わっています。舞台がついている山車はここ長浜が源流ですので、宮大工などの職人も長浜から行っています。」
柳田(国男)の「小さ子」論は日本の大事な成功や充実を物語る大きなヒントでした。カプセルに入った「成長の芽」をたいせつにするという考え方の原型が、ここに歴然として認められます。このことは、日本人が「小さなもの」や「小さなところ」を大事にするという価値観や美学に密接に関係していきます。和歌や短歌、もっと短い俳句が普及し、小さな庭や小さな茶室から茶の湯文化が生まれていったことも、それらが「わび・さび」として貴ばれた美意識になっていったのも、もとはといえば「小さ子」礼賛的なものだったのです。
『日本文化の核心』(講談社現代新書)松岡正剛
台詞の合間に見物客の中から「早く幕をあけろ!」「そうだ、そうだ」と大声があがる。松岡さんが懐かしそうに「うちの父も“どめき”を遊んでました。僕はまだ小学生だったけど、父が、ここからやで、掛け声かけなさい、と教えてくれる。でもなかなか掛けられない。」と笑う。「“どめき”も音楽要素のひとつですよね。お客さんも若衆もみんなが役者。お客さんを波に見立てたりもする。あれが歌舞伎の鷹揚さですね。」と川村さん。そしてすかさず「子ども歌舞伎の“どめき”は我々若衆が頑張ります。」と竹村さんが続ける。祭りは、つくる人、演じる人、観る人それぞれのツトメがある。
川村「子どもたちは3月25日から2週間稽古をし、4月9日の線香番で初めて狂言を披露します。経済界の旦那衆も激励にくる。それまでずっと伏せて稽古をしているので、子どもの時の線香番での緊張感は大人になった今でも続いていますし、一生忘れることはないと思います。」
祭りや芸能というものは、以上のような「中・奥・辺」の構造をたくみにシミュレーションするシステムのひとつである。「奥」からカミや威霊を招き、これをヤシロの「中」に充実させていったん守り、これをさらに神輿や山車に乗せて「辺」にめぐらせていく。そのための内陣や外陣でおこなう儀式もこの展開を模している。深夜に若水を汲み、その水取りを合図にさまざまなオコナイを展開する修験型の祭りや行事も、おおむねは同様の仕組になっている。そのシミュレーション構造は、祭りだけでなく、多くの芸能の場面にも応用されていった。鏡の間で心を定め、橋掛かりを通ってシテ柱に向かっていく能の仕組にもつながった。
『日本数寄』(ちくま学芸文庫)松岡正剛
「かわ重」さんは呉服町組「常磐山」の一員として、代々、店をあげてお祭りに奉仕し、受け継がれてきたお役目のバトンを次の代に渡していく。川村さんが話す。「4月14日の登り山まで子どもたちは「お供え」です。若い衆が子どもを大事に抱いて曳山に運びます。奉納が終わると子どもは初めて下駄をはいて地面におります。提灯で足元を照らし、顔を照らす幻想的な風景となる。これを見た小さい子どもたちが3年後に役につく、そうして受け継がれていくのです。」
一方、近江ARSメンバー・竹村さんは茨城県出身。長浜と出会って15年、移住して10年。大学時代に勉強した建築の知識や、会社で蓄積したまちづくりの経験を活かしながら、いまや長浜の土地に根ざし、次代のまちづくりを拓く企画実践を担っている。竹村さんは「この曳山祭りを体験する子どもたちが、何を学んでどんな大人に成長していくのかが楽しみ。そんな思いで関わっている。」と話す。
長浜の中で老舗と文化を守ってきた川村さんと、移住して新たな仕掛けづくりに挑戦する竹村さんが、同じ祭りを通して見る長浜の未来がある。そのことの意味はきっと大きい。
旅日時 |2022年4月16日(土)
旅考人 |松岡正剛
近江ARS |福家俊彦、福家俊孝、川戸良幸、村木康弘、三浦史朗
横谷賢一郎、加藤賢治
仕込み衆 |竹村光雄、冨田泰伸、對馬佳菜子、橋本英宗、川瀬智久
仕立て衆 |中山雅文、和泉佳奈子、中村裕一郎、中村碧
文章 |渡辺文子
写真 |新井智子
写真説明 |竹村光雄
収録 |伊賀倉健二、亀村佳宏、小川櫻時
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