百間サロン|かたり篇|毛利志満 森嶋明奈さん

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かつて竜王山と呼ばれていた鏡山と雪野山。その山々に挟まれた滋賀県竜王町の丘陵を歩いていると、見上げた空は高く、肌寒い風が通り過ぎていく。梨の花が白くふっくらと咲く景色を眺めながら、足取りも軽く丘のさらに上をめざす。
 
近江ARSでは、月に一度、百間サロンを開催し、県内外に住む会社経営者や菓匠、建築家など、職業や立場をこえたARSメンバーが集まります。知識を共有する場というよりも、異なる視点を交差させ、まだ言葉になっていない「もう一つの日本」を交わし合うことで、ともに立ち上げる対話の場です。
 
4月の百間サロンのカタリストは、毛利志満(森島商事株式会社)の森嶋明奈さんでした。最初に毛利志満の牧場を特別に見学させていただき、牧場長からお話を伺いました。
 
見牛 毛利志満の牧場にて 
広々としたスペースでゆったりと過ごす牛の無垢な瞳に、ARSメンバー一同、心を奪われた。
牧場の敷地に入ると、艶のある毛並みの牛が柵から顔を出していました。生まれた場所や育てた期間に関係なく、滋賀県で育った牛は「近江牛(おうみうし)」となります。毛利志満では、市場で子牛を買い付けて、2年ほど牧場で育てて出荷されます。
牧場長(写真向左)のような牛を育てる人の生きる姿勢や言葉に日本らしさや仏教を感じると語る森嶋さん(写真向右)。
「丁寧にゆっくり育てると、サシと赤身のバランスがとれて美味しくなる。胸焼けせず、脂もさっぱりと育つ。」と牧場長は語ります。肉質は生まれ持ってのもので、買い付けるときの目利きと、そこからいかに磨き上げていくかが重要とのことです。
熟練の目利きによって選ばれた子牛。愛らしさだけでなく、その表情に品を感じる。
また牧場長の話によると、いまでは科学的にどの牛と牛を交配すれば、美味しい牛が生まれるか分かるため、サシが多い肉や赤身が多い肉など、時代の好みに合わせて交配種の牛を育てるところもあるそうです。
 
一方、毛利志満では血統を踏まえながら、熟練の目利きをきかせ、良い子牛を市場で仕入れ、その伸び代を最大限に育てていきます。
 
牛舎のなかへ入ると、牛たちが通路側に近寄ってきました。人間は自分たちに対して、ごはんをくれたり、背中をかいてくれたりと、良いことをしてくれるという牛の経験から、珍しい来客であっても人間に興味津々でした。
人懐っこく、牛の方から人に歩み寄り、コミュニケーションを取っているようにも見える。
人牛倶考 “近江”牛とは?
場所を移して、毛利志満近江八幡店で森嶋さんの語りです。毛利志満のはじまり、幕末期から明治時代、昭和中期までの商いの仕組みについて、そして松岡正剛さんの『日本文化の核心』のジャパンフィルターを通して、「近江牛の“近江”とは何か?」についての考えを話していただき、ARSメンバーで意見を交わし合いました。
牛と人、近江と牛について、それぞれの考えを持ち出す。 
■「米どころ近江」の原風景――牛と暮らす民家
牧場を見学し、感じ、考えたことを共有し合うなかで、叶 匠寿庵の池田さんから龍門という集落を取材したときに知ったという、昔の牛と農家の暮らしぶりについて語られました。
 
「寿長生の郷にある古民家は、昔、家の中で牛を飼っていた。田畑を耕す時は牛に働いてもらっていた。家で一番大事なのが牛だったようで、家のなかで牛が最初にご飯を食べていた。昔は牛舎がなく、牛を家の中で飼っていたため、民家の屋根が少し高い造りになっていた。」
元々、人と牛はともに暮らしていたのです。
 
農家にとって牛は身近な存在でした。稲わらを食べた牛が排泄する牛糞が田畑を育み、その田畑を牛が耕し、作物が育ち、実りを得るという循環がありました。しかし、トラクターの普及とともに、そうした農家も減少します。そのようななかで毛利志満は自社牧場の運営をはじめ、育てられる牛たちは今も近江の稲わらを食んでいます。
牧場に積み上げられた稲藁。近江牛は米どころ近江を支え、それに支えられる関係だった。
■生業を通して、多様な文化をつくってきた
日本文化はハイコンテキストで、一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂があるのです。…日本は一途で多様な文化をつくってきました。
松岡正剛『日本文化の核心』より
その言葉にふれて、毛利志満の生業からどんな多様な文化がみえるのか。
「すき焼きはまさに和漢混交」近江牛の“近江”に問いをかける。
「西洋からきた牛と、近江商人の信心深さや命との向き合い方とが混ざり合って、独特の牧場が出来上がっている。家畜や経済道具として扱うだけじゃないものが、三大和牛にはあると思っている。牧場長が育てている牛を「放っておけない。あいつ、どうしているかな」と思うのは、仕事だからというよりも家族だから。そうした牛を育てる姿勢に、昔からの牛と人の付き合い方が垣間見える。」と森嶋さんは語ります。
 
また、「近江商人は、商品をほとけ様から授かったもののように捉えてきました。それを誰かに買っていただいて、その利益も「いただきもの」であるという、経済主義とは違う「いただく」精神があるように感じる。」と指摘します。
 
そして、「牛を食材だけの見方をするようになった歴史は浅いのではないか。本来の牛と日本人の関係性を考える必要があるのではないか。」そうした問いが交わし合いのなかで出てきました。
 
■牛に対する日本人の姿勢
牛に向けられた人々の思いをあらわすものとして、学芸員の横谷さんより逢坂の関の近くに現存する「関寺の牛塔」が挙げられました。
 
「関寺の牛塔」とは、被災した関寺を復興する際に活躍した牛の供養のために造られた石造の宝塔のこと。日本最大級の石造宝塔で、大名のお墓の何倍もある。当時の物流を担った牛たちの存在と、その牛を慰霊する人々の心が感じられます。
毛利志満の牧場敷地内には、畜魂碑があり、年に一度供養をする。
毛利志満が歩んできた歴史から垣間見える近江商人の精神や、近江に伝わる暮らしや伝承から、本来「牛」と「私たち」の「あいだ」にあった関係性を紐解き、いまどのように語るかを考えるサロンとなりました。
 
 
**後日、ARSメンバーの阿曽さんから、松岡正剛さんがイシス編集学校で牛について語られたことが共有されました。
「伝承と継承」というテーマの中で、夏目漱石の牛と馬の話が持ち出されました。
 
参考「16校長校話「伝承と継承」(1/4) 漱石によせて」
 
 
 

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