近江ARS・百色|三井寺執事・福家俊孝さんインタビュー
近江ARSでは、編集工学者の松岡正剛さんと仏教学者の末木文美士さん、そして、三井寺長吏の福家俊彦さんを囲んで仏教的方法から現在を問う「還生の会」を開いている。ちょうど昨年末にシーズン1(全8回)を終え、6月からシーズン2をはじめる。
三井寺執事の福家俊孝さんは、そこで設えと供茶を引き受ける。2020年、僧侶としてのお勤めとお寺の運営を総括するかたわら、三井寺の境内に群生する茶樹からつくる「三井寺茶」をはじめた。近江ARSもちょうど同じ頃にスタートした。いま俊孝さんのなかで、仏教とお茶について渦のような捉えなおしが起きている。
お茶を日本にもたらしたのは、唐から帰国した留学僧たちである。日本で最初の茶書『喫茶養生記』が、臨済宗の僧侶、栄西によって記された。禅宗寺院の喫茶は武家へと広がり、千利休により茶の湯として完成をみる。こうして、古の日本人は中国のスタイルを取り入れながらも、日本独自の茶の湯へと変化させ楽しんだ。現代の私たちも、先人たちのつくりあげたスタイルに甘んじることなく、もっと自由に面白くお茶を楽しめるのではないか。そんな想いを込めて、毎春、三井寺の山中で古茶樹の新芽を摘み加工する。
「仏教を別の方法で感じてもらいたい」と、率先して、仏像、建造物、絵画、工芸品、さらには、庭や自然を組み合わせて場をつくってきた。テーマにあわせて、山から切り出した草木を室内に生やしたり、草木で須弥壇をつくったりしたこともある。ご本尊の弥勒菩薩を安置する金堂(国宝)をトークイベントの舞台に設えることもした。各会で供するお茶は、テーマ、季節、気温、お菓子など様々な要素を考慮して決める。緑茶、白茶、烏龍茶、紅茶の中から、時々の会のお茶を選びだす。考え抜いて提案すると、近江ARSの目利きたちが面白がりながら背中を押してくれる。


2024年4月に開催した近江ARS TOKYOのトークイベント「別日本があったって、いい。――仏はどこに、おわします?」でも、編集工学者の松岡正剛さんにお茶をふるまう役割を担った。ゆったりとした松岡さんの息遣いにあわせ「存在するようで存在しない」というキワを狙った。舞台上の一角でお茶を淹れる自分の影によって、舞台と客席との隔たりが溶けあい一体となることを願ったという。
ちょうど新茶の季節と重なったこの日には、2週間前に手摘みした三井寺茶を選んだ。強めに炒って三井寺の桜の塩漬けを添え、瑞々しいお茶の香りに近江の春を忍ばせた。


日本の「型」を語るにはパターンやスタイルやフォームに出たり入ったりする「間」や、生身に演奏者や踊り手や武芸者が関与しつつ包まれる「場」のことこそを、いろいろ考慮しなければならないということになります。つまり日本の型にはそういった「あいだ」が入っているのです。
『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』松岡正剛
いま、俊孝さんは、同世代の30代、40代の人たちと「遊び方」を考えてみたいと話す。それは、日本の文化を解釈しなおし、西洋文化・文明をもう一度取り込みなおすことだ。既にあるもの、外からやってきたものをそのまま受け入れるのではなく、解釈しなおして新たなジャパン・スタイルを生みだしたい。お茶、音楽、アート、医療、かつてお寺にはあらゆる最先端があった。お寺という場だからこそ、様々なものを出入りさせ面白いことができるのではないか。古と今、東と西、聖と俗…、たくさんの「あいだ」をいく覚悟だ。「かつての“かぶき者”たちみたいに、楽しく遊ぶようにね」。俊孝さんの目がいたずらっ子のような輝きを帯びる。
