近江ARS TOKYO「別日本があったって、いい。――仏はどこに、おわします?」のダイジェスト(1)

EVENT
 

「いないいないばあ」が爆ぜる

 
一本の竹の棒とともに森山未來が琵琶湖と溶けあっていく。闇に包まれた会場とびわ湖との間から静かに音が生まれていくかのようだ。やがて、月明りのようにタイトル『別日本があったって、いい』が浮かびあがる。キーボードを打つカタカタという音にのってテキストが闇の中を揺蕩う。「いま、別日本が求められている。いろいろな別所や別人が、ほしい」。
 
「琵琶湖のマレビトになってほしい」と松岡に託された森山未來氏。そのダンス映像によって、近江ARS TOKYOが開いた。

 

近江ARSのプロデューサー和泉佳奈子が登場した。ある日、松岡から「近江には日本の謎がある」と現近江ARSのチェアマン、中山雅文を紹介された。凄くて深くて面白いにも関わらず、日本はほとんど語られていない。日本の「語る力」を再生できるかもしれない。手探りの歩みがはじまった。

赤い衣装に身を包んだ和泉佳奈子。冒頭、松岡と初めて仕事をした24年前の草月ホールでの仏教イベントを振り返った。

 

「近江ARSと言えばこの人」と、和泉が松岡と共に牽引役を担う三井寺長吏の福家俊彦を呼ぶ。福家も近江ARS始動の瞬間を振り返った。2019109日、松岡に初めて会ったとき、思わず三井寺の別所の話をしたという。天台宗の寺門派総本山の三井寺には、本所を囲むように別所の跡が残る。世俗の枠組みからはみ出す人々が、ここで新しい文化を生んできた。

 たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり

近江育ちの歌人、河野裕子の歌を引いて、「近江という土地が語りかけてくる声にもっと耳を傾けたい」。そして、「近江ARSは未来の人たちのための場」と宣言した。

洋の東西はもちろん、領域を問わず、たくさんの先達に親しむ福家から、言葉がわきあがる。

 

80歳になった今、私のノスタルジアを近江にしたい」とどこからともなく松岡の声が響く。ヨウジヤマモトの「私に刀をくださいな。」の文字入りの衣装を纏った松岡がやっと姿をあらわした。「方法日本」を求め、母なるもの、父なるものを追いかけ、ジェンダーやセクシャリティの境をまたぐ矜持に至った来し方を振り返る。世阿弥と芭蕉、あらためて今、この二人の日本のアーティストに立ち返りたいとのことだ。「今日は、近江の友人が芭蕉を紹介してくれる」とスクリーンに視線を送った。

「なかなか確信できない。でも、そこにあるのがノスタルジア」。舞台袖の暗がりから、ついに姿をあらわした松岡が呟く。

 

 
松岡からのバトンを義仲寺(滋賀県大津市)で受け取ったのが、学芸員の横谷賢一郎(近江ARS)である。芭蕉は、琵琶湖を臨む風光明媚なこの土地で門人たちと句会を重ね、義仲寺を墓所とするよう遺言した。敷地内の翁堂には、伊藤若冲による天井画の花が咲くなか、芭蕉と門人たちの肖像画が句会をするかのように飾られる。「芭蕉を思うとき、決して忘れてはいけない人物がいる」と横谷の言葉に力が入る。江戸時代後期の俳人・蝶夢である。蝶夢こそが、荒れ果てていた義仲寺を再興し、命がけで芭蕉作品を再編集したからこそ、芭蕉は現在も私たちのなかに生きているのだ。
「故人も多く旅に死せるあり」。芭蕉の言葉を引きながら、横谷が新緑に彩られた境内を案内した。

 

「松岡さんが芭蕉に見えてきた」。スクリーン越しの横谷に続いて、江戸文化研究者の田中優子氏がステージにあがる。松岡はいつも多くの人とともに「編集」をおこす。今日のこの場でも体現されているそのスタイルこそが「芭蕉」なのだという。高校生の頃から松岡の編集を追ってきた田中氏は、これまで一度ならず三度も松岡の夢を見てきたことを告白した。「松岡さんから受け取ったものを育てよ」というお告げだという。田中氏からすると近江は「動く」場所。遊行僧をはじめとして、説教僧、芸能民など多くの人が行きかい、交わりあってきた。京都や江戸の「中心」とは別の日本文化が息づく場所なのだ。これからも松岡の道行に伴走する覚悟を示し、ステージを降りた。

学びたいと疼く気持ちを止められず、松岡が校長を務めるイシス編集学校の守破離の全コースを全うしたことも明かした。

 

遠くで鳴り響いていた三味線のボリュームがあがる。三味線演奏家・作曲家の本條秀太郎氏と弟子の秀慈郎氏の音が会場を包んだ。秀太郎氏も松岡も、三味線の誕生に近江が大きく影響したと見る。その証といえよう、日本の楽器の弦のほとんどが近江の木ノ本が作られてきた。多くの人が行きかった近江だからこそ弦楽器の編集が進んだはずなのだ。秀太郎氏の手招きで、木ノ本で和楽器糸を制作する丸三ハシモトの橋本英宗(近江ARS)が、舞台に設えられた琴屏風について紹介した。絹の和楽器糸を渡して作った六面の屏風は、六角屋の三浦史朗(近江ARS)により、畳むと琵琶湖が浮かび上がるように設計されている。丸三ハシモトにとって、和楽器の糸で屏風を作るのは、もちろんは初めてのことだ。「この屏風を通じて、別日本をあらわしていきたい」という。秀太郎氏が作曲、松岡が作詞した『見立て三井寺』から、バルトーク、シベリウス、そして、バッハ。意外な選曲に驚きながら、会場一同が耳を傾けた。

バッハは、近江で三味線が生まれたのと同時代を生きた。「当時の世界に想いを馳せながら聞いていただきたい」と秀太郎氏。

 

「近江には、音も、お茶もある」と松岡の紹介を受け、遠州流の13世家元、小堀宗実氏がステージにあがる。近江ARSでは、202210月に催された叶 匠寿庵の寿長生の郷での「龍門節会」以来の再会だ。何度となく松岡からのお題に苦しんできたことを明かし、会場の笑いを呼ぶ。龍門節会では「をちこち」というお題に悩みぬいた。その際の戦友、叶 匠寿庵の芝田冬樹(近江ARS)が、小堀氏に呼ばれてステージに上がる。芝田が、龍門節会で客人とともに創りあげた「本の傘」を舞台上に飾った。続いて、小堀宗翔氏が、琴屏風に「遠」と「近」の二文字がしたためられたお軸を掛けた。龍門節会で、小堀氏と松岡が即興で筆をとった合作だ。あの日限りの座が、別の形となってここに蘇る。「茶の湯は、世俗を離れて行なわれてきたもの。もともと「別」なもの」と小堀氏が、茶の湯の本来を言い添えた。

遠州流茶道の流祖小堀遠州は近江長浜の小堀村の出身。小堀氏は、その地を訪れ、自身の血が逆流する感覚を得たという。

 

第一部のクライマックスを飾るのは、松岡が大きな影響を受けた前衛書家、森田子龍を受け継ぐ稻田宗哉氏だ。一礼して、舞台上に設えられた白い和紙の上に足を踏み入れる。天井のカメラが正面のスクリーンに映像を映しだす。稻田氏がゆっくりと身体半分ほどの大筆を執る。会場中が息をのんだ数秒後、「境」という文字が浮かびあがった。「初めて書いた」という一字を静かに眺め、荒い息づかいのまま、「文字がもつ骨格を筆とともに動ききる」と大筆遣いの極意を淡々と紹介した。

「大きな筆は簡単には動いてくれない」と稲田氏。筆の微妙な動きに合わせるため、臨書による鍛錬を日々重ねている。

 

第一部と第二部の境に、叶 匠寿庵の芝田が用意したのは、「雲」と名付けられた一対のメレンゲ菓子だ。変幻自在、ときにいたずらっ子のように形を変える雲が近江ARS TOKYOのシンボルだ。和菓子と洋菓子の境をまたぐ不思議な菓子に、三井寺執事の福家俊孝(近江ARS)と茶人の堀口一子が三井寺山中で手摘みした三井寺茶が添えられた。

メレンゲが溶けると、白雲からは乾燥小豆が、黒雲からは胡桃が「いないいないばあ」と姿をあらわす。

(つづく)

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近江ARS TOKYO「別日本があったって、いい。――仏はどこに、おわします?」
日時:2024年4月29日(月・祝)13:30-17:30
会場:草月ホール(東京都港区赤坂)
出演:松岡正剛(編集工学者)、福家俊彦(三井寺長吏)、末木文美士(未来哲学研究所所長)他多数

※映像を販売しています。ご購入希望の方はこちらをご確認ください。
HYAKKEN MARKET 近江ARS TOKYO【第1部】映像
https://hyakkenmarket.jp/products/detail/43
HYAKKEN MARKET 近江ARS TOKYO【第2部】映像
https://hyakkenmarket.jp/products/detail/44

 

 

 

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