近江ARS 第6回「還生の会」のダイジェスト

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「過ぎたること」がひらくもの
 
 12月2日、第6回「還生の会」は、いつもの三井寺ではなく長浜別院大通寺で開かれた。幕開きを寿いだのは、曳山祭において奉納狂言を担う山組の役者たちと三役修業塾の面々だ。彼らは、近江ARSの竹村光雄の声掛けで集まった。「トザイ、トーザイ!」。柝(き)と高らかな口上に一堂の目と耳が集まる。大床に描かれた獅子に負けぬ勇猛さだ。シャギリが大広間に響き渡り、三味線の節にのって鮮麗な三番叟の舞が続く。
【第1部:兆し】長浜には「時空の境い目」がある―――松岡正剛
 長浜は、松岡正剛の父方の故郷である。祖父母を訪ねて度々この界隈で遊んだという。それから半世紀以上がたった今、日本文化研究を50年かけて究めてきた松岡にとって、その長浜はさらに特別な場所となりつつある。
 「長浜は、時空の境い目とも言える場所だ」。松岡が「日本のバロック」と呼ぶ安土桃山文化は、この土地で興った。信長や秀吉といった統一政権を狙う武家のもとで、それまでとは一線を画す豪壮華麗な文化が花開く。書院造、障壁画、茶の湯、能楽、歌舞伎…と、数多の新しいスタイルが短期間のうちに生まれた。安土桃山の大袈裟、過剰さは、日本文化にとって非常に重要だ。日本は「過ぎたること」によって、奥に潜んでいるものをブラウジングしてきた。日本の国土や精神に潜む「隠れたるもの」を立ちあげるには、「過ぎたること」がどうしても必要だった。幕開きの柝もシャギリも舞もそうだ。私たちのなかの残念や無念を奮い立たせてくれる。
 また、長浜という場所は、京都、奈良から山一つ越えたところにある。日本の都は、長浜を背景にして存在した。長浜を超えることによって、西国から東国を跨いだ。江戸というもう一つの都が開かれ、新しい時代も開いていく。「過ぎたること」が残る長浜、西国と東北を仕切ってなお繋ぐ長浜。「長浜を解くことで日本を解くことができる」と松岡が言いきった。
湖北にのこる観音信仰―――對馬佳菜子
 観音ガールの對馬佳菜子が、小さな箱を携えて登場した。小箱にどのような日本が潜むのか、一同の注目が集まる。對馬が、大広間の前方に安置された6体の身代わり観音さんに、箱からご飯を供えた。
 高月町唐川(たかつきちょうからかわ)の赤後寺(しゃくごじ)では、今も日々村人たちが観音さんにお供えをする。今日は「多くの方々に見ていただきたい」と世話方衆が對馬に観音さんと御仏供さんセットを託した。
 村人は、病気や出産となると、お堂から観音さんを借り受け、家で握りしめて力をもらってきた。世話方代表の杉山弘氏は「父も母も当たり前にしてきた御仏供さんをどのように残し、観音様をどのように御守りしていったらよいか」と日々自問する。湖北の観音信仰は、近世に入って、廃寺となった天台寺院の仏像を村人たちが受け入れたことに始まる。湖北の人たちが「当たり前」と日々取り組むことのなかに凄いものがある。静かな過剰が日常のなかに潜んでいるのだ。「まだ言葉になっていない湖北の祈りを語り継ぎたい」と、對馬は近江ARSで挑み続ける。
東洋/西洋と単純に分けていいのか―――福家俊彦
 三井寺長吏の福家俊彦も、身代わり観音さんにお参りしてから舞台に登場した。福家は、最近、明治生まれの二大哲人にゆかりの場所を訪れたという。西田幾多郎記念哲学館と鈴木大拙館だ。西洋は主観/客観、無/有と二項対立的な捉え方をする。東洋は「無」「空」と自己の存在を消し去ったところに起点を置く。西田の「絶対矛盾的自己同一」も大拙の「即非」も、古今東西、言葉になっていなかったものを言語化しようと徹底的に苦闘した末のものだ。
 現代の私たちは、「東洋」「西洋」を当然のように使う。「本当にそれでよいのか」と福家が問う。パレスチナ出身のエドワード・サイードの著作『オリエンタリズム』を持ちだした。サイードは、「西洋」に対照する「東洋」という概念をつくり出すことで、西洋が東洋の差別を強化したことを暴いた。
 「日本はこう、仏教はこう」と、私たちは無自覚のうちに自らの思考を規定してはいないか。自らを戒めながら仏教を考えたいと福家が決意を新たにした。
福家は、会場にマイクを向けた。
 
―――ファッション文化論の専門家の米澤泉氏―――
毎度、仏教を軸に文化・芸術・政治・経済などあらゆる領域から現代社会の行く末に想いを巡らす「還生の会」は、貴重な場です。私が研究対象とするサブカルチャーと仏教も、実は関係が深く、若者に人気のAdoもKing Gnuも“阿修羅”を冠した曲があります。今後、表象文化と仏教について究めていきたいです。
―――俳人の恩田侑布子氏―――
子どもを失って狂女となって三井寺にきた女が、そこで子どもと再会して正気を取り戻し、京へ還っていくという能『三井寺』があります。近江には人を再生する力がある。近江こそ日本の臍でありパトリアでしょう。
「仏教」「Buddhism」という言葉―――松岡正剛
 
 湖北の観音信仰、明治の二大哲人、對馬と福家によって、それぞれの「過ぎたる」有り様が立ちあがった。米澤氏と恩田氏の仏教・近江への迸る想いを受けた松岡が、一同の注意を近代へと移した。
 明治以降、近代仏教は苦難の道を歩む。五か条の誓文の僅か5日後に神仏分離令が出された。廃仏毀釈、仏教弾圧、そして、国家神道の出現。並行して、欧米の文学・宗教学・民俗学・科学も取り入れる。欧米に追随するなかで、「仏教」「Buddhism」という言葉が、初めて登場した。「日本仏教とは何か」。清沢満之、南条文雄、多くの日本人が考えた。
 日本仏教の苦闘は今も続く。団地ができて檀家制度が崩れ、戸籍はお寺の管理からマイナンバーカードへと移行した。一方で地蔵盆もお墓もお葬式もいまだに残る。私たちは、仏教をどのように心の中に持ち続けるとよいのか。「仏教がまとまって残る近江でこそ語りたい」と松岡が第1部を締めくくった。
【第2部:振舞】長浜様「甘酒」「三井寺茶烏龍茶」「琴屏風」―――冨田泰伸、橋本英宗、芝田冬樹、福家俊孝
 還生の会で毎度、和菓子作りに腕を振るう芝田冬樹は「冨田酒造の甘酒はお菓子です」と語った。北国街道沿いで460年以上つづく冨田酒造の銘酒『七本槍』の天然麹を使った特別な甘酒は、米と麹を混ぜて発酵させたもの。広くでまわっている酒粕に砂糖を加えて水で溶かしたものではない。「甘酒の歴史は随分古く、日本書紀にも登場するほど古くから日本人に親しまれてきました。地元の米をうちの蔵で麹にし、酒と同じ仕込水で作った<自然の甘み>をお楽しみください」と冨田泰伸が一同に説明する。その甘酒を存分に楽しむには、口当たりの柔らかい竹の酒器と好い加減の温度での提供が欠かせない。叶 匠寿庵の職人たちが一手にもてなしを引き受けた。さらに福家俊孝は、甘酒を菓子とみたて、その甘さにあう強めの焙煎の三井寺茶の烏龍茶を添えた。三井寺の山から手摘みし、冨田酒造の井戸の伏流水で煎れたものだ。
 舞台を飾る「絹弦の屏風」は、ウコンで染めた黄色い絹絃は光が当たるとやさしく黄金に輝く。絹弦の輝きと調和するように真鍮が木枠に仕込まれている。黄色に染められた絹弦に触れると、細かく振動して柔らかな音を発する。製作をてがけた長浜近くの木之本で和楽器糸の会社を率いる丸三ハシモトの橋本英宗は「絹で作られた全長30mの和楽器糸を途中繋ぐことなく使用しています。糸には程よい張りを与えており、手で弾くと細かく振動し柔らかな音が鳴る。めったに味わえない絹弦の音を感じてほしい。屏風とは風を屏ぐ(ふせぐ)ことに由来するが、この琴屏風は野風琴の如く風が通り抜ける事で音を奏でる可能性を秘める。名付けて<琴屏風(きんびょうぶ)>です」と語った。明治41年の創業以来、丸三ハシモトが調度品を作ったのは初めてのこと。意匠は、三浦史朗が手がけ、木枠は三角屋がつくった。
【第3部:語り】近代仏教の苦闘―グローバルか、ナショナルか―――末木文美士氏
 
 末木氏の語りは、二枚の図会を見比べることから始まった。戊辰戦争で江戸に戦いが迫る直前に描かれた風刺画『当世三筋のたのしみ』、洋装姿が居並ぶ錦絵『新皇居於テ正殿憲法発布式之図』の二枚だ。前者で大人に背負われて駄々をこねていた赤子姿の明治天皇が、後者では威厳に満ちた国家元首に変わる。この劇的な変化が、明治の日本なのだ。
 明治新政府は、天皇を中心とした神道国教化策を目論んだ。しかし、欧米列強との関係でキリスト教を無視できなかった。倒幕の大きなバックアップとなった西本願寺派の長州も、仏教弾圧に黙っていなかった。政府は、神仏合同体制を取らざるを得なくなる。復古した神祇官は、数年後に廃された。新設された教部省が、国家的な宗教者を養成する大教院政策を取った。
 末木氏は、仏教側で注目すべき人物として、浄土真宗本願寺派の僧侶、島地黙雷を取りあげた。島地は、欧州の宗教情勢を視察、研究し、政教分離と信教の自由を主張、神道色の強い大教院に反対した。やがて、教部省も大教院も廃止となり、政府による神道の国教化が挫折した。
 大日本帝国憲法が政教分離と信教の自由を保障すると、神道は国家の祭祀であり宗教ではないとされた(神道非宗教論)。日本は、ここから国家神道のもと、天皇を中心とした家父長制国家へと突き進む。家ごとの祖先祭祀は、墓と位牌でもって仏教が引き受け、生き残りの道を探った。
 末木氏が、スコープを広げ、19世紀の宗教・思想を概観する。注目すべきは神智学の動きだ。1875年、ブラヴァッキー夫人とオルコット大佐がアメリカで神智学協会を創設した。数年後に、拠点をインドに移し、ヒンドゥー教や仏教とも深く関わった。東洋と西洋と分けずに相互に学びあうとする姿勢が芽生えた。神智学の牽引により、1893年に万博にあわせて第一回シカゴ万国宗教会議が開催され、世界中の宗教が初めて平等に対話した。「根源的には宗教は一つ」と宗教間の対立を超えていく動きが出た。
 日本の仏教者も、新しい動きに賛同し、この会議に参加した。決して、政府まかせの西洋追随一辺倒だったわけではない。今回も、末木氏によって、普段は語られない仏教の有り様が示された。
【第4部:交わり】鼎談―――松岡正剛、末木文美士氏、福家俊彦
 
 大床に設えられた赤い陣提灯を背に、末木氏、松岡、福家による鼎談が始まった。「清沢満之はどう捉えたらよいか」と松岡が末木氏に問う。かねてから松岡は、清沢満之の「ミニマム・ポシブル」や「二項同体」という考え方に注目してきた。末木氏も、徹底して精神主義を貫いた清沢を飛びぬけた宗教哲学者と評する。その主張は「自己の心を追究して、自己を突破していくことで、仏という他者に出会うことができる」というものだったろうと紐解いた。
 続いて、福家が、神仏分離に際して廃された修験道を持ちだし、松岡も大きく頷く。明治期に三井寺で受戒したフェノロサも日本美術収集家のビゲローも修験道に魅了された。スティーブ・ジョブズに、アラン・ケイ、バックミンスター・フラーと多くの西洋人が、修験道や神秘主義、自然的密教、タオイズムに惹かれてきた。どの思想にも通底する「自己を掘り下げると、必ず異質な他者に出会う」という構えは万人に通じるのではないか。万国宗教会議の「根源的には宗教は一つ」という捉え方の可能性が見える。
 松岡が、声を大にする。近代化の文脈のなかで、修験道や密教的なものに加えて、茶道・能・華道・歌舞伎といった日本文化も、前近代的と見られた。が、こうした因果関係のわからないもの、非合理なもの、見えないものを抱えていることこそが日本なのだ。現代は、合理から外れるものを「精神主義」や「霊性主義」とダークサイドに位置づけ、排除し、語れなくする。この風潮を断罪した。歴史を遡れば、科学にも霊性が潜む。ニュートンもプトレマイオスも、神のために宇宙を考えたのだ。
 あらゆる事象には、常に「別」=Another Real Styleがある。日本が大切にしてきた有り様を忘れるべきではない。仏教を語りなおすことによってもう一度「別」を立ちあげたい。「還生の会は、そのための場」と松岡が結んだ。
 コンプライアンスや合理の傘の下で、「伏せられたもの」を掘り起こす機はなかなかない。「過ぎたるもの」に出会うことでしか、私たちは伏せられたものを取り戻すことができない。この日は、長浜というローカルが見せる子ども歌舞伎・身代わり観音・七本槍・屏風と近代仏教者たちが東洋/西洋と単純に分けきらずに苦闘する姿に触れて、普段隠れていたものが「いないいないばあ」とあらわれでる一日となった。馬上提灯の明かりに導かれ、暗くなった大通寺の門を出た一行には、もうひとつ、湖北で報恩講のときに古くから振舞われていた「お講汁」が待っていた。
−出演−
松岡正剛   編集工学者 
末木文美士  未来哲学研究所所長 
福家俊彦   三井寺長吏
 
竹村光雄
對馬佳菜子
冨田泰伸
橋本英宗
芝田冬樹
川戸良幸
 
三番叟 吉田櫂
舞台方 横田莉大
囃子 手﨑穂里
長浜三役修業塾
太夫 竹本賀桐 竹本和賀
三味線 豊沢賀祝 佐々木悠人
振付 岩井小紫八
 
−企画進行・司会−
和泉佳奈子 
 
−空間構成・設営−
三浦史朗 福家俊孝 芝田冬樹 竹村光雄 冨田泰伸 橋本英宗 
横谷賢一郎 中村裕一郎 佐野元昭
中村虚空 犬山空翼
 
−光演出−
MGS照明設計事務所
伊東啓一 成田俊輔
 
−受付−
川戸良幸 竹村光雄 冨田泰伸
中山雅文 三ツ橋和美 白谷祐美
 
−供茶−
福家俊孝
 
−もてなし−
冨田泰伸 冨田酒造 
芝田冬樹  池田典子 芝田元太 河野吉将 叶 匠壽庵 
 
−アテンド・サポートー
宮本千穂 中山郁 福家博子 寺平賢司
 
−記事作成−
阿曽祐子
 
−映像収録−
伊賀倉健二 亀村佳宏 竹野智史 三谷達也
 
−写真撮影−
新井智子 川本聖哉
 
−会場協力−
長浜別院大通寺
黒田真 田川恵美
 
−特別協力−
赤後寺
杉山弘 山田和男 野瀬謙治
 
−全体監修−
松岡正剛 福家俊彦
 
−制作進行−
中村碧
 
−プロデュース−
株式会社百間
 
−チェアマン−
中山雅文
 
−協賛−
株式会社中山事務所
 
−主催−
近江ARS
 

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