近江ARS 第5回「還生の会」のダイジェスト

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いつも「そこ」に潜むもの
 
 暑さの峠を越すという処暑を過ぎても、日中は夏の気候のままだ。汗を拭いながら到着した一行を氷柱が迎える。8月26日、第5回目の還生の会が三井寺事務所で始まった。
 
【第1部:兆し】三井寺の今昔から―――福家俊彦、松岡正剛
 木の中からあらわれでる「仏」の左右に屋根を背負うような「仏」。三幅の「仏」が舞台上に掲げられた。「松岡さんのお軸と合わさることによって、木が生き返った」と語るのは、檜皮葺・杮葺の職人、河村直良氏だ。普段は三井寺の伝道建築の維持・補修を任されている。今回、近江ARSメンバーとともに設えを担った。一堂が注目する中、河村氏が3センチほどの板に屋根金槌で檜皮包丁を入れていく。トントン、パキッ。気持ちよく2枚に割れた板の表面はガタガタしている。本来だったら隠す歪みこそ持ち味とあえて見せるのが河村流だ。河村氏のような多くの職人に支えられて三井寺の今がある。松岡正剛がしたためた当初は、ただ紙の上に書かれた文字でしかなかったものが、人と場と混ざり合い、「仏」となって客人を迎えた。
 三井寺長吏の福家俊彦がおもむろに和紙を見せた。寛文4年に江戸幕府の4代将軍徳川家綱から発行された朱印状だ。三井寺は、この書状によって、土地の権利を保証された。信長の比叡山焼き討ち、秀吉の闕所令(けっしょれい)、家綱の寛文印知(かんぶんいんち)、近世に入って、寺院は為政者の制約を受ける。俗世を超える存在であった仏教の立ち位置が大きく変わった。天台の霊空、華厳の鳳潭(ほうたん)など問題意識をもった僧侶たちが、宗派を超えて教義論争に取り組んだ。活発になった出版業も論争を加速する。話されたことが印刷され、読まれ、議論がさらに深まる。自ら資金を集めて大蔵経の出版に奔走した鉄眼(てつげん)をはじめ、新安祥寺(あんしょうじ)流の浄厳(じょうごん)、三井寺の円珍らは、出版を活用し教義を深化させた。「実は江戸は仏教者にとっては自由な時代だった」と福家が自説を披露した。その証拠に、三井寺にはこの時代に他の宗派から借りた本が今も借りっぱなしのまま残ると苦笑った。
 福家による三井寺史を受けて、松岡が三つの「仏」の前に立った。仏教を立てなおそうという格闘の中で、はみ出してきたものに注意を向けたいという。鳳潭、鉄眼、黄檗宗といった仏教者に加えて、仙厓、浮世絵、説教節、歌舞伎といったアートもだ。教義論争とは別に、民衆にも仏が息づいていったのが、江戸時代の特徴と言える。歌舞伎に代表されるようにセクシャリティすらも変化させる自由さと多様さがあった。残念なことに、今の仏教学者でこれらをつなげて語れる人がいないとぼやいて、末木氏を壇上に呼んだ。末木氏の第一声は、「仏教への見方は間違いだらけ、松岡さんも福家さんも違っている」。一同が息をのむ。「近世に入ってからの仏教は、決して受け身ではない。自らの論理を持って新しい時代に対応しようとした。政治の抑圧を受けていたという前提で議論すべきではない。もっと堂々とすべき」と言い切った。
 「悔しいけれど、やはり日本仏教を語れるのは末木さんしかいない」と松岡。嬉しそうに唯一無二の宗教史と『日本宗教史』(岩波新書、末木文美士著)を掲げ、「末木さんとともに、仏教を官能的なものと一緒に語りなおす」と改めて宣言した。
【第2部:語り】土着と論争・近世仏教の魅力―――末木文美士氏
 「これ、何の図かわかりますか?」と末木氏が一同に問いかけた。一枚目は、殿様姿の浄飯大王(じょうぼんだいおう)に奥方姿の摩耶夫人(まやぶにん)、二人を屏風の奥から覗き見する憍曇弥(きょうどんみ)だ。二枚目は、母親の面影をしのぶ悉達太子(しったたいし)の夢に遊女姿の普賢菩薩が登場する場面。三枚目は、出家する悉達太子だ。末木氏は、ちょんまげ姿の浄厳大王と悉達太子に大きな衝撃を受けたという。これらは、近世末期の名高い浮世絵師、河鍋暁斎によって描かれた釈迦の一代記『釈迦八相倭文庫』である。続いて、葛飾北斎による『釈迦御一代記図会』だ。奥行と躍動感のある北斎の図会のなかでも、憍曇弥の嫉妬心が高じて大蛇となる図がお気に入りだという。幕末になって、美人画、春画、浮世絵、出版業も盛んになり、文化の中心が江戸にうつっていく。同時に、仏伝の日本化が盛んになった。
 
 仏教の権力は幕府によって削がれたものの、やられっぱなしだったわけではない。寺檀制度は、幕府が民衆管理のために寺院を利用したと言われるが、仏教側は布教に活用した。この時期、網の目のように日本中にお寺が建設され、仏教は直接民衆に働きかけることができた。五代将軍徳川綱吉による生類憐みの令も、赤穂浪士の討ち入りも、背景には仏教的な考え方を見ることができる。
 当時、仏教の三世因果論に新しさが感じられなくなっていたが、神道の死生観は確立せず、儒教の現世主義まで割り切れない。人々は何を信じたらよいか迷っていた。問題は、現世秩序にとらわれない別世の存在を認めるかどうか。すなわち、「顕」と「冥」の「冥」の存在を認めるかということだ。末木氏は、注目すべき仏僧として、鳳潭をとりあげる。黄檗宗の鉄眼に華厳の再興を託されて華厳を深めながらも、天台の霊空に学び、様々な宗派の経典の目録化に取り組んだ。やがて、明末の天台の四明知礼(しめいちれい)の性悪説に至る。「仏をも含めた一切の存在には悪が内在する」という大胆な説だ。ここには、仏も悪の要素を含んでいなければ、衆生を理解し救済することはできないという人間観がある。鳳潭は、あらゆる現象の根源に心があると捉える中世の本覚思想に限界を見て、あらゆる現象が相互関係のなかにあるという新たな華厳解釈で世界観を紡いだ。鳳潭の現実的な人間への見方が、後の荻生徂徠、本居宣長にもつながっていく。「近世は、儒学の時代というより、むしろ仏教の時代」と言い添えて、末木氏がマイクを置いた。
【第3部:振舞】爽涼のひととき 「葛粽紫蘇」「菊の白茶」
 笹の葉を紐解くと透明な葛に包まれた水羊羹が顔を出す。江戸時代中期に生まれた水羊羹は、今でこそ夏の風物詩だが、冷蔵技術がなかった当時は冬にしか食べられなかったという。口に運ぶと香りが広がる。熱気を帯びたアタマとカラダに涼をと、叶 匠寿庵の芝田冬樹が紫蘇を織り込んだ。菊の花が浮かぶ白茶が添えられる。ひと足はやい重陽の節句だ。客人たちの健康を寿ぐかのように、茶器のなかで、花が表情豊かに踊る。
 一人一人の手に藁の縄が手渡され、一同で第二会場の三井寺金堂への道行だ。木々の合間から、檜皮葺の威容が見えてくる。1599年、豊臣秀吉の没後に時間を置かず、正室の北政所によって再建された安土桃山を代表する天台建築である。耳には、近江八景の「三井の晩鐘」として親しまれ続ける大鐘の音が響く。
【第4部:交わし】鼎談―――松岡正剛、末木文美士氏、福家俊彦
 暗がりのお堂に足を踏み入れると、音と光に包まれる。言葉とも音楽ともつかない不思議な響きは「江戸仏教を音であらわす」という挑戦だ。松岡の声帯の震えを取り出して、三井寺の閼伽井屋の水音と重ねたと演出家の奥山奈央子氏が説明した。日本の神様には必ず後戸の神様がいる。姿をあらわしていないが、ずっとそこにいる。「アートもお能も仏教も、あらわれていないものを招くためのもの」と松岡が闇の中で声をしのばせた。
 福家も見たことがないという秘仏の本尊の前に、末木氏、福家、松岡が座った。松岡は、かねてから近世のキーパーソンとして、天海(てんかい)に注目してきたという。秀吉の朝鮮出兵から家康の鎖国政策に至るまでの日本の外交政策には大きな転換がある。これを仕組んだのは天海ではなかったかという仮説を持ち続けてきた。天海版大蔵経の出版、政務への参画、日光の輪王寺の再興、寛永寺の創建と、政治面でも教学面でも天台の改革者だったことに末木氏も福家も頷く。
 続いては鳳潭だ。鳳潭によって、天台と華厳とが掛け算状態に至るのが非常に面白いと松岡。中世後期の14世紀以降、それまで兼学可能だった仏教の各宗派が独立していく。仏僧の学びも自らの宗派中心となり、他宗派は基礎程度となる。が、鳳潭はそこに留まらなかった。あらゆる宗派に論争を仕掛け、一元的に世界を捉えようとする動きに抗って、華厳本来の多元的な見方を取り戻した。
 天海や鳳潭の奮闘、三井寺金堂の意匠が示すように、仏教は、宇宙論や生命観はもちろん、音、衣装、デザイン、技術とあらゆるものを持つ。にも関わらず、そうは語られていない。江戸でもそうだった。思想界での論争と庶民の生活とがつながっていない。お寺や僧侶こそが、本来、仏と人とをつなぐべきと自らに課すように福家が言う。
 江戸文化研究者の田中優子氏は、江戸の庶民は日々仏壇に手を合わせ、事あるごとに近所のお寺にお参りし、生活の中で身体ごと仏教を感じていたはずと決然と言う。戯作で釈迦を扱えるのも信仰があったからだ。「仏教をからかえなくなった現代の私たちこそ信仰を失っている」と現代への危機感を吐露した。文芸評論家の安藤礼二氏は、文献解釈が本格的に始まったのが鳳潭・契沖の時代と再確認したという。「世界の謎を読み解いて、新しい世界を再構築していく仏僧たちの構えが、宣長、篤胤へとつながっていくのが見えた」とのことだ。
 「常に多元的であろうとしてきた仏教は、現代のデジタルメディア性とも親和するはず」と松岡が締めくくる。まだまだ語りきれていない仏教がある。私たちはさらに仏教をいじらねばならない。外に出ると、ライトアップされ、別の姿となった金堂が、一行を見送った。どこからともなく、どこへゆくともなく、三井の晩鐘が鳴り響き続けた。
 
 
−出演−
松岡正剛   編集工学者 
末木文美士  未来哲学研究所所長 
福家俊彦   三井寺長吏
 
河村直良  屋根葺き職人
 
−企画進行・司会−
和泉佳奈子 
 
−空間構成・設営−
三浦史朗 福家俊孝 芝田冬樹 横谷賢一郎 中村裕一郎
西坊信祐 角克也 堀田忠則 中西敬介 飯田剛 森下孝志
 
−音演出−
佐久間海土 奥山奈央子
 
−光演出−
MGS照明設計事務所
伊東啓一 井上靖雄 成田俊輔 北見淳子
 
−受付−
川戸良幸 中山郁 三宅貴江
 
−オンライン配信−
中村裕一郎 難波久美 園村健仁
 
−供茶−
堀口一子
 
−もてなし−
芝田冬樹   叶 匠壽庵
 
−道行−
福家俊孝 竹村光雄
 
−アテンド・サポートー
柴山直子 加藤賢治 山田和昭
櫛田理  橋本英宗 冨田泰伸
 
−記事作成−
阿曽祐子
 
−映像収録−
伊賀倉健二 小川櫻時 竹野智史
勝山義徳  三谷達也
 
−写真撮影−
新井智子
 
−会場−
三井寺事務所
三井寺金堂
 
−全体監修−
松岡正剛 福家俊彦
 
−制作進行−
中村碧
 
−プロデュース−
百間
 
−チェアマン−
中山雅文
 
−協賛−
中山事務所
 
−主催−
近江 ARS
 

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