近江ARS 第3回「還生の会」有料動画配信
2022年12月22日に開催いたしました近江ARS第3回「還生の会」の映像配信(有料)のご案内です。配信期間は、2023年4月28日〜2024年5月1日(予定)です。ぜひ、HYAKKEN MARKETにてこの機会にご視聴ください。
<近江ARS 第3回「還生の会」映像の詳細および価格について>
リアル/バーチャルを跨ぐ ――松岡正剛
三井寺の草木と陰陽五行にちなむ五色の布が来場者を迎える。数日前に三井寺の山中から切り出された木々が、新たな命を生きなおす。五色布は「染司よしおか」6代目の吉岡更紗が、先代の吉岡幸雄がライフワークとして再現した『源氏物語』五十四帖から選び抜いたものだ。
開会にあたり、松岡正剛は「リアル/バーチャルが問題になっている昨今こそ、仏教を問い直す必要がある」と力説する。インドで生まれた仏教は、中国で漢字になり、日本に入ってきた。仏教者こそ、リアル/バーチャルを行き来してきた。「ここ(日本)」に居ながら、「むこう(インド・中国)」に想像を巡らせ、中国の漢字を日本的なボーカラゼイションに読み換えたのだ。
【第1部】語り|草木は成仏するか?―日本仏教の自然観・人間観 ――末木文美士
『日月四季山水屏風』(天野山金剛寺蔵)は、日月(太陽と月)が仏教的な世界観、四季が日本的な自然観をあらわしている。日本人の自然観は、仏教にどう影響したのか。「日本的な仏教は、安然に始まる」。安然は、一草一木がみずから仏性を持ち、悟りを開くことができるとした。この考えが「この世界そのものが既に悟りの世界である」という「あるがまま」の本覚思想へとつながっていく。
一見すると現世肯定や退廃にいきそう「あるがまま」だが、中世後期から、この本覚思想が民衆の活気になっていくというのが末木の見方だ。本覚思想が、単純な現状肯定に留まらず、衆生に「我こそが実践者」と信仰の勇気を与え、現世における積極的な活動を生んでいった。
【第2部】伝え|自分の外へ「聖」なる世界からの眼差し ――福家俊彦
「犬が犬でなくなる限界まで写し込んでいる」と、森山大道による有名な犬の写真を最初に示した。「こういう写真を撮る人は、別の眼をもっている。でないと、この犬には出会えない」。主体と客体の境い目が消え、対象と自己が無くなった瞬間、やっと世界の本当の姿が見えてくる。「草木が成仏する」も然り。世界を見る眼が日常のままに留まっていると、そうは思えない。
松尾芭蕉の「松の事は松に習へ」。芭蕉にとって、前者の松と後者の松は違うものであるはずだ。更にメープルソープ、セザンヌ、円空、道元、良寛、明恵上人と「別」な見巧者を列挙していく。草木成仏の眼差しは、洋の東西を問わない。どのように見るか次第なのだ。
【第4部】交わし|鼎談 松岡正剛、末木文美士、福家俊彦
「もっと仏教を使って、アートや学習やポップカルチャーを語っていい」と言う松岡に、福家も「今日は仏教用語を使わないことにチャレンジした。普通の日本語で仏教を語りなおしたい」と応じる。
さらに話題が「死」や「性」に及ぶ。まだ仏教が十分に語りきれていない領域である。「仏教と性の問題をジェンダーといった西洋の言葉ではなく、我々の内側から出てくる日本の言葉で語ることができれば、顕ではない冥の世界から湧きあがる力を得られるはず」と日本中世文学研究の第一人者田中貴子が期待を込める。
<イベントの概要>
◎名称|近江ARS 第3回「還生の会」
◎テーマ|「草木は成仏するか? 日本仏教の自然観・人間観」
【第1部】語り|草木は成仏するか?―日本仏教の自然観・人間観 ――末木文美士
【第2部】伝え|自分の外へ「聖」なる世界からの眼差し ――福家俊彦
【第4部】交わし|鼎談 松岡正剛、末木文美士、福家俊彦
※【第3部】巡りは、勧学院にて三井寺と石山寺による声明の共演でした。
第4部の冒頭に一部映像がございます。
◎日時
|令和4年12月21日(水)
◎場所|三井寺事務所
滋賀県大津市園城寺町246 〒520-0036
◎出演
末木文美士 未来哲学研究所所長
松岡正剛 編集工学者
福家俊彦 三井寺長吏
◎定員|約70名
◎推薦図書
末木文美士著『日本仏教入門』 角川選書
末木文美士著『日本宗教史』 岩波新書
末木文美士著『日本思想史』 岩波新書
◎主催|近江ARS(アルス)
◎お問合せ
近江ARS本部 滋賀県大津市栗林町3-1中山事務所内 中山雅文
近江ARS総局 東京都千代田区九段南2-2-8松岡九段ビル百間内 和泉佳奈子
omi@arscombinatoria.jp (近江 ARS 担当 中山・和泉)
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